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森中千香良(68歳)
b0123916_1264359.jpgもりなか・ちから。奈良県奈良市出身。投手(右投げ)。東京中日スポーツ野球評論家。奈良商工高等学校(現・奈良県立奈良朱雀高等学校)卒業後、1958年南海にテスト入団。1963年17勝8敗で最優秀勝率。野村克也、皆川睦雄、杉浦忠などとともに名門南海ホークスの黄金時代を支えた。

1967年に大洋ホエールズに移籍して18勝。1972年東映フライヤーズ(1973年は日拓、1974年は日本ハム)、1975年再び大洋に移り引退。通算517試合に登板し114勝108敗、オールスター出場2回。以降プロ野球解説者。1996-97年中日ドラゴンズ二軍投手コーチ。生涯独身で、パンチョ伊東らと結成した「独身貴族会」の一員でもあった。2008年4月14日16時55分、膵癌のため奈良県大和郡山市の病院で死去。68歳。写真は1964年のもの。
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# by nob_io | 2008-04-14 21:26 | 野球関連2008 |
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江藤愼一(70歳)
b0123916_20184792.jpg「闘将」えとう・しんいち。熊本県山鹿市出身。旧名慎一。熊本商業高校から日鉄二瀬を経て1959年、中日ドラゴンズに捕手として入団。一塁手に転向し1年目からレギュラー。1964年・1965年には2年連続首位打者に輝き、王貞治の三冠王を阻止。1967年・1968年には34・36本塁打。また、1962年・1963年には捕手難で内野手から捕手になったこともある。写真は1966年のもの。

その豪快な性格から「闘将」と呼ばれ、毎晩飲み歩き、酒の匂いをさせてグラウンドに現れることもあった。それが元で1969年、水原茂監督との確執から引退に追い込まれるが、日鉄二瀬、中日時代の恩師で当時ロッテオリオンズの濃人渉監督就任を機にロッテに移籍。

1971年に3度目の首位打者に輝き、史上唯一の両リーグ首位打者を獲得。しかし大沢啓二新監督の来季構想から外れ、同年大洋ホエールズに電撃移籍。1975年、地元・九州を本拠地とする太平洋クラブライオンズに兼任監督として移籍。ユニホームの後ろポケットにバットを突き刺すというスタイルで注目を集め、Aクラス入りの成績を上げる。1976年、金田正一監督に請われロッテに復帰し、この年限りで現役引退。首位打者獲得3回、ベストナイン6回、オールスター出場11回、オールスター最優秀選手2回。

引退後は、1985年、静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現・伊豆市)に「日本野球体育学校」(通称「江藤野球塾」)を設立し、後に社会人ヤオハンジャパンとなり、多くのプロ野球選手を輩出する。2003年夏ごろに脳梗塞で倒れて入院、以後は寝たきりの生活であった。また若い頃の飲酒の影響で肝臓に癌が出来ていたという。2008年2月28日午後3時38分、肝臓癌のため東京都内の病院で死去。70歳。弟は元プロ野球選手の江藤省三。

野球の鬼・闘将江藤慎一さん逝く ドラの主砲、セ・パ首位打者


プロ野球界の巨星がまた1人いなくなった。中日、ロッテなどで強打者として活躍し、史上初めてセ、パ両リーグで首位打者になった江藤慎一氏が28日午後3時38分、肝臓がんのため、東京都内の病院で死去した。70歳。気迫をむき出しにするプレースタイルから「闘将」と呼ばれた中日の代表的な強打者だった。 昭和のプロ野球を沸かせた豪傑は70年の生涯を静かに閉じた。

晩年は病との闘いだった。99年に肝臓を手術。03年夏に脳こうそくで倒れてからは入院生活が続いた。ここ数年は容体も安定していたが28日午後になって急変。前日夜から同日午前にかけて、巨人、中日で活躍した弟・省三氏ら弟たちが相次いで見舞ったのが、弟たちとの別れとなった。

江藤氏は、4人兄弟の長男として生まれ、1959年に中日に入団。1年目からフル出場。どんなボールでも左に引っ張る豪快な打撃で頭角を現し、64、65年に連続首位打者。巨人・王貞治一塁手(現ソフトバンク監督)の3冠王を連続して阻んだことを「野球人として最大の誇り」と喜んだ。当時の水原茂監督との確執から中日を退団すると、ロッテに移籍。ここでも首位打者となり、日本シリーズではV9巨人と対戦した。

史上初の両リーグ首位打者として一時代を築いた男は、どんぶりで日本酒を飲み明かしても翌日に平気でプレー。野球の鬼とも形容され、一塁へのヘッドスライディングなどスタイルも豪快そのものだった。郷里・九州に戻った太平洋では外野手兼監督として“山賊野球"を率いた。バットをズボンの後ろポケットに刺してチームの先頭に立ち、平和台球場を大いに沸かせた。

引退後の85年には、伊豆半島にある静岡・天城湯ケ島に野球塾を設立。アマ球界に身を置いたが、中日ドラゴンズへの愛情は深く、「(一軍の)監督は無理でも、二軍の打撃コーチになれたら…。ドラゴンズの若い人を教えたい」と語り、指導者として古巣・中日に戻りたいという夢を抱いた時期もあった。

長い闘病生活となったが、豪快な九州男児は弱ったところを見せたくなかったのだろう。親族以外はほとんど病室に入れなかった。プロ野球関係者で病床を見舞ったのは親しかった江夏豊氏(阪神、西武など)ら数えるほど。衰えてもなお気骨あふれる生き方を貫いた。波瀾万丈の人生は、最後まできらめいていた。(中スポ)

「心」が信条の男だった


私の宝物の一つに、現役時代のいろんな思い出を張り付けてきたスクラップブックがある。その1枚が1964年9月10日の巨人戦(後楽園)のスポーツ記事。江藤さんが王さんとの直接対決でホームランを放ち、初の首位打者へ走り始めた日のものだ。

私が今も覚えているのは、その前夜。当時の中日の主力は江藤さん、葛城隆雄さん、権藤博さん(元横浜監督)ら九州出身の豪傑ぞろい。遠征先では毎晩、鍋を囲んで、一升びんが空になるまで酒盛りを繰り広げていた。そんな席になぜかいつも呼ばれていたのが、まだプロ1年生の私。その夜も、いつ果てるともない宴が続いていた。私の方が気が気じゃない。明日は江藤さんにとって、タイトルの行方を占う大事な試合。そこで、とうとう「きょうは、ゆっくり眠って明日に備えましょう」と、生意気にも天下の江藤さんに意見してしまった。

すると即座に「バカモン」の怒声。「ボールは心で打つものや。逃げちゃいかん。向かっていくものだぞ」と、逆に説教された。オレを見くびるな。一升や二升の酒で、オレのバッティングが変わるか。気迫が萎(な)えるか−と言いたかったんだろうね。その言葉通り、翌日の試合で江藤さんは、王さんを抜き、打率トップに躍り出た。

その後も随分、江藤さんにはかわいがってもらったが、今思い出そうとしても、江藤さんが練習していた姿を見た記憶がない。「心技体」というが、体よりも技術よりも「心」を大事にし、それがあれば必ず道は開けると信じる人だった。 (中スポ評論家・木俣達彦)
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# by nob_io | 2008-02-28 19:42 | 野球関連2008 |
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加藤博一(56歳)
b0123916_13303764.jpgかとう・ひろかず。佐賀県多久市生まれ。多久工から西鉄に70年テスト入団。76年に阪神、83年に大洋へトレードで移籍。規定打席到達は80年(5位)と85年(26位)の2度だが、俊足好打の外野手として90年まで21年間現役でプレー。85年には近藤貞雄監督(故人)の下で主に2番打者で活躍し、1番高木豊、3番屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成し一世を風靡、この年の39犠打はリーグトップ。86年オールスター出場。現役時代は178センチ、73キロ、右投げ両打ち。引退後には明るい性格と巧みな話術で自ら「笑いがとれる解説者」を名乗りタレント性を発揮、お茶の間のファンも多く、91年から07年まで解説者を17年続けた。2008年1月21日、午後0時54分に肺癌のため横須賀市内の病院で死去。56歳。
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# by nob_io | 2008-01-21 14:16 | 野球関連2008 |
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雑賀忠夫(62歳)
さいか・ただお。神戸市出身、オリックス球団社長。関学大を卒業後オリエント・リース(現オリックス)に入社。オリックス信託銀行取締役などを歴任し、2007年から球団社長に就任。しかし7月に内臓疾患の手術を受けるなど入退院を繰り返し、2008年1月19日午前4時54分、肝腫瘍胎児性肉腫のため、東京都港区の北里研究所病院で死去。62歳。
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# by nob_io | 2008-01-19 14:13 | 野球関連2008 |
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丹羽春夫(98歳)
にわ・はるお。元後楽園スタヂアム〈現東京ドーム〉会長。2008年1月5日、多臓器不全のため東京都千代田区の病院で死去、98歳。
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# by nob_io | 2008-01-05 14:12 | 野球関連2008 |
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2007年の物故者
Wikipedia 訃報 2007年よりコピペ。
2月18日
松田清(76歳/虚血性心疾患)プロ野球選手
3月22日
菅野光夫(54歳/直腸癌)プロ野球選手
4月6日
中村浩道(71歳/クモ膜下出血)プロ野球審判員、野球解説者
5月8日
栽弘義(65歳/心不全)沖縄水産高校野球部監督
5月21日
野口二郎(87歳/肺炎)「日没だけが野口を止めた」プロ野球投手
5月26日
伊藤勲(65歳/肺癌)野球選手野球指導者
6月9日
関口清治(81歳/慢性閉塞性肺疾患/高田実彦によると痰を喉に詰まらせた)プロ野球選手
6月14日
鈴木悳夫(66歳/咽頭癌)プロ野球選手
6月25日
河西俊雄(87歳/慢性腎不全)プロ野球選手、プロ野球スカウト
7月6日
蔦行雄(77歳/胃癌)プロ野球選手、徳島県立池田高校野球部監督
8月9日
高橋栄一郎(71歳/膵腫瘍)プロ野球選手、山形県新庄市長
8月11日
平古場昭二(79歳)高校野球選手、プロ野球審判員
8月13日
佃正樹(52歳/食道癌)全国高等学校野球選手権大会優勝投手
8月15日
酒井敏明(73歳)プロ野球中日ドラゴンズ選手
8月17日
黒田一博(82歳/肺癌)プロ野球選手。広島の投手黒田博樹の父
8月25日
渡辺秀武(65歳/肺炎)プロ野球選手
9月10日
長船騏郎(83歳/肺炎)全日本アマチュア野球連盟会長
9月17日
中部慶次郎(74歳/肺癌)横浜ベイスターズ球団オーナー、マルハ社長
9月18日
長嶋亜希子(64歳/心不全)長嶋茂雄夫人
9月29日
上福元勤(41歳/直腸癌)東京讀賣巨人軍内野手
10月2日
大津守(76歳/心不全)プロ野球西鉄ライオンズ投手
11月13日
稲尾和久(70歳/悪性腫瘍)プロ野球選手、西鉄太平洋ロッテ監督、野球解説者、野球評論家
12月14日
花井悠(75歳/敗血症)西鉄ライオンズ外野手
12月15日
島野育夫(63歳/胃癌)プロ野球選手、野球解説者
12月15日
井上忠行(72歳/飛行機内で急性心筋梗塞発症)プロ野球審判
12月23日
藤井道夫(85歳/肺炎)阪急ブレーブス編成部長
12月25日
小野忠彦(74歳/多臓器不全)関西学生野球連盟会長
■以下、非野球関連
1月30日
シドニィ・シェルダン(89歳/肺炎による合併症)脚本家・小説家
2月6日
渡辺和博(56歳/肝臓癌)イラストレーター、エッセイスト
2月23日
池田晶子(46歳/腎臓癌)文筆家
3月14日
鈴木ヒロミツ(60歳/肝細胞癌)歌手俳優
3月22日
城山三郎(79歳/間質性肺炎)小説家
3月27日
植木等(80歳/肺気腫による呼吸不全)俳優コメディアン歌手。元クレージーキャッツ
4月11日
カートヴォネガット(84歳)小説家
5月3日
横山ノック(75歳/中咽頭癌)お笑いタレント、元参議院議員、前大阪府知事
5月17日
塩沢とき(79歳/スキルス性胃癌)女優
5月17日
藤原『テロリストのパラソル』伊織(59歳/食道癌)作家
5月27日
坂井泉水(ZARD/40歳/階段から転落、後頭部強打による脳挫傷)歌手、作詞家
6月1日
石立鉄男(64歳/就寝中の急性動脈瘤破裂)俳優
7月8日
村上恵梨(25歳/盲腸低分化腺癌)タレント
7月9日
ジェリー伊藤(79歳/肺炎)俳優、ジャズ歌手
7月18日
宮本顕治(98歳/老衰)元日本共産党中央委員会議長
7月19日
河合隼雄(79歳/脳梗塞)心理学者、第16代文化庁長官
7月28日
カールゴッチ(82歳)プロレスラー
7月30日
ミケランジェロアントニオーニ(94歳)映画監督
7月30日
イングマールベルイマン(89歳)映画監督
7月30日
小田実(75歳)作家
8月1日
阿久悠(70歳/尿管癌)作詞家、作家
8月10日
小阪修平(60歳/急性心不全)評論家、予備校講師
8月14日
山口小夜子(年齢非公表/急性肺炎)ファッションモデル
8月16日
マックスローチ(83歳)ジャズドラマー
8月23日
西村寿行(76歳/肝不全)小説家
8月26日
エドワードGサイデンステッカー(86歳/2006年に転倒後、入院療養中に死去)日本文学研究者
9月6日
ルチアーノパヴァロッティ(71歳/腎不全)テノール歌手
10月6日
グエンベト(26歳)ベトナムの結合双生児の兄
10月7日
阿部典史(32歳/川崎市の公道上で交通事故)オートバイレーサー
10月12日
黒川紀章(73歳/多臓器不全)建築家
10月18日
木原光知子(59歳/クモ膜下出血)元水泳選手(東京五輪日本代表)、タレント、実業家、日本水泳連盟理事
11月10日
ノーマンメイラー(84歳/急性腎不全)ノンフィクション作家
12月15日
ハイアングレイシー(33歳/強盗事件で収監され拘置所内で死去、死因不明)総合格闘家
12月25日
ダン池田(72歳/急性呼吸不全)バンドマスター
12月31日
エットーレソットサス(90歳)建築家デザイナー

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# by nob_io | 2007-12-31 13:46 | リスト |
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小野忠彦(74歳)
おの・ただひこ。香川県出身。全日本大学野球連盟専務理事。関西学生野球連盟理事長。2007年12月25日、胃癌による多臓器不全のため東京都文京区の病院で死去。74歳。
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# by nob_io | 2007-12-25 13:45 | 野球関連2007 |
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藤井道夫(85歳)
ふじい・みちお。外野手。高松商業学校時代に甲子園に出場。華北電電、常磐製紙を経て1950年阪急ブレーブスに入団し、俊足巧打の1番打者として活躍した(実働8年)。引退後は阪急スカウトとして数多くの選手の獲得に尽力し、編成部長も努めた。2007年12月23日午後3時40分、肺炎のため兵庫県西宮市内の病院で死去。85歳。
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# by nob_io | 2007-12-23 13:41 | 野球関連2007 |
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島野育夫(63歳)
しまの・いくお。栃木県宇都宮市出身。作新学院高校から社会人野球の明電舎に進み、1963年に中日ドラゴンズに入団。1968年シーズン途中に南海ホークスに移籍。野村克也選手兼任監督のもとで頭角を現し、1973年には61盗塁を記録するなど俊足巧打の一番打者、守ってはこの年のゴールデングラブ賞を受賞する強肩外野手として活躍、この年の南海の優勝に貢献する。翌年・翌々年もゴールデングラブ賞に輝き、中心選手としてチームを牽引した。1976年に阪神タイガースに移籍し、1980年をもって現役引退。

1982-84年、阪神の守備・走塁コーチ。1986年、中日のコーチに就任。翌1987年に星野仙一が監督に就き、そこから星野とともに活動する機会が増える。現役時代は後輩の星野仙一を呼び捨てにしていたが、星野は2歳年上の島野を「島ちゃん」と呼ぶ一方、監督とコーチという関係になった時から島野は「監督」と呼び敬語を使うようになり、それは終生変わらなかったという。落合博満は現役引退後の著書で、中日が優勝を果たした1988年シーズン中、コーチ陣では島野だけが選手の相談役となり、起用法などの不満を聞いてやっていたと綴っている。鬼軍曹と呼ばれていたが、選手たちからも信頼されていた。相手の癖を盗む特技を生かし、1992年、阪神のコーチに復帰。1995年、中日に二軍監督として復帰。この年には休養した高木守道、徳武定祐の後を受け監督代行を務める。1999年の第2次星野政権のリーグ優勝に貢献、球界屈指の名参謀としてその名を轟かせる。

2001年オフ、阪神の監督に招聘された星野仙一に従う形で阪神にコーチとして復帰。この時、島野は中日の二軍監督として残留することになっており、すでに発表済みでもあったが、それを一方的に破棄する格好になった。中日側からは批判の声があがったが、星野は「オレと島ちゃんはどんな名刀でも切り裂くことができない」と言い、非はこちらにあるが、勘弁してくれと中日サイドを説得したという。星野の妻からの信頼も厚く、中日時代に交わした「主人を日本一にしてあげてください」という約束を守るために星野に追随して阪神に移籍したとも言われる。2003年に阪神がリーグ優勝を果たすのに大きく貢献した。当時健康問題を抱えていた星野が試合中にベンチで休み、それに代わってヘッドコーチの島野が実質上の采配をふるったこともあった。翌2004年、星野の勇退とともにコーチを辞任しフロント入りしたが、2005年に久万俊二郎オーナーの鶴の一声で一軍総合コーチに復帰した。2006年には二軍監督に就任するが、4月26日から胃潰瘍による長期入院を余儀なくされ、シーズン中は立石充男二軍打撃兼守備コーチが監督代行を務めた。2007年、現場から離れ総合特命コーチに就任。12月15日、胃癌のため兵庫県西宮市の病院で死去した。63歳。亡くなる数か月前、神戸・三宮に創作洋食の店をオープンし、オーナーとして経営していた。島野が亡くなってからは夫人が店長兼オーナーを務めている。
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# by nob_io | 2007-12-15 13:36 | 野球関連2007 |
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井上忠行(72歳)
いのうえ・ただゆき。プロ野球選手、プロ野球審判員。福岡県三井郡出身。八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局を経て1957年内野手として西鉄ライオンズに入団。主に中西太の後釜として一塁手・三塁手の控えをつとめ、1964年まで現役を続けた。現役時代の通算記録は、実働8年で584試合に出場し、945打数170安打の.180、18本塁打、71打点、3盗塁。

その後セ・リーグ審判部に入局、関西審判部の中堅として長年活躍した。審判員としての出場記録は通算3263試合、日本シリーズ6回、オールスター6回。引退前年の1996年には、61歳という高齢ながらオールスター・日本シリーズW出場を果たしている。有名な試合としては、1987年中日の近藤真市によるルーキー初登板・初先発ノーヒットノーラン達成試合で球審をしていた。2007年12月15日、沖縄でのマスターズリーグの試合後、飛行機で帰途の際に急性心筋梗塞を発症し急逝。72歳。
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# by nob_io | 2007-12-15 13:22 | 野球関連2007 |
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花井悠(75歳)
はない・ゆう。岐阜高校で夏の甲子園大会に投手で出場し準優勝。慶應義塾大学→日本石油野球部を経て、1957年、西鉄ライオンズに入団し、当時黄金時代を築いたチームの主軸打者として活躍した。左投左打、外野手。1964年引退。現役引退後は西鉄に打撃コーチとしてしばらく残留、退団後は解説者、コメンテーターとして活躍。2007年12月14日、敗血症のため死去。75歳。
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# by nob_io | 2007-12-14 13:18 | 野球関連2007 |
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稲尾和久(70歳)
「鉄腕」「神様、仏様、稲尾様」いなお・かずひさ。投手、監督、野球解説者。現役時代の背番号は24。大分県別府市北浜出身。七人兄弟の末っ子に生まれる。漁師を継がせたいと考えていた父親の意向で、幼い頃からよく海に出た。中部中学時代のポジションはキャッチャー。 1956年、大分県立別府緑丘高等学校(現・大分県立芸術緑丘高等学校)から西鉄ライオンズに入団。高校時代は全く無名で、三原脩監督も「稲尾はバッティング投手として獲得した」と公言し、口の悪い豊田泰光は「手動式練習機」とも呼んでいた(但し、豊田泰光は週刊ベースボールの連載コラム(稲尾追悼回)にて「稲尾が打撃投手としてとられたというのは嘘。三原監督は早くから稲尾に注目していた」と述べてもいる)。

1年目から21勝6敗、防御率1.06(2007年現在パリーグ記録)の好成績を残し、最優秀防御率と新人王を獲得した(ちなみにこの年、新人にして154試合全試合にフルイニング出場し180安打を記録したにもかかわらず、稲尾との直接対戦成績(18打数1安打)が決め手となり新人王になれなかったのが、後にキャスターとして活躍する佐々木信也)。

2年目の1957年からは3年連続30勝を記録し、1961年にはヴィクトル・スタルヒンに並ぶシーズン42勝をマーク。中西や豊田、大下弘、仰木彬らと共に、「野武士軍団」西鉄の黄金時代を築き上げる原動力となった。

1958年の日本シリーズで読売ジャイアンツに3連敗した後の第4戦、三原監督は、第1戦、第3戦に先発した稲尾を三たび先発させて勝利すると、後の3試合でも稲尾を起用し続けて4連勝し、奇跡の大逆転日本一を成し遂げた。実に7試合中6試合に登板(うち5試合に先発、4試合完投)し、第3戦以降は5連投、更に第5戦ではシリーズ史上初となるサヨナラホームランを自らのバットで放つという獅子奮迅の活躍を見せ、優勝時の地元新聞の見出し「神様、仏様、稲尾様」は、今なお稲尾の枕詞となっている。後年、病床に伏していた三原は、見舞いに訪れた稲尾に対し「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳ないものだ」と詫びたが、稲尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えている。

デビューから8年連続20勝以上・史上唯一の3年連続30勝以上、同一シーズン内20連勝のプロ野球記録(57年)、シーズン42勝/同353奪三振/同78登板(いずれも61年)、日本シリーズ通算11勝、MVP2回、最多勝4回、最優秀防御率5回、ベストナイン5回など、鉄腕の名をほしいままにした。当時の「エース」と呼ばれる投手は、先発・リリーフの双方をこなすことが当たり前だった。それに加え、三原脩監督の投手起用法が良くも悪くも実力者偏重であったため、頭角を現した後の稲尾は登板数が急激に増加した。米田哲也や梶本隆夫(阪急ブレーブス)、土橋正幸(東映フライヤーズ)といった同世代のエースと比較しても登板試合数が極端に多い。1962年8月25日、通算200勝を達成。25歳86日での達成は金田正一に次ぐ年少記録である。

ある大学が「プロの投手の集中力と精神力」を調査するため、稲尾を含む西鉄投手陣に、捕手の構えるところに正確に、続けてボールを投げ込むことができるかどうか、という実験を依頼した。稲尾は外角低め、外角高め、内角低め…と、何十球も連続して捕手の構えるところに、少しもミットを動かすことなくボールを投げ込み続けた。この制球力を見て他の投手は「やっていられるか」と呆れ、実験の参加を辞退した。また、リリースポイントの直前に握りを変え、シュートとスライダーを投げ分けることもできたという。

しかし、1964年にはそれまでの酷使がたたって肩を故障。これを機に1966年リリーフに転向し、同年最優秀防御率のタイトルを獲得した。1969年限りで現役を引退。稲尾の早期引退が先発ローテーション制度が広まるきっかけになったと言われるほど、当時の衝撃は強いものがあった。



引退翌年の1970年からライオンズの監督に就任。32歳での監督就任は専任監督として最年少である。「黒い霧事件」のため次々と主力を失い、球団が西日本鉄道から福岡野球株式会社に売却される(太平洋クラブは、ネーミングライツによる冠スポンサー)という苦境の中で指揮をとり、三年連続最下位になるなど散々な成績に終わり1974年限りで退任。ただし後に大投手となる東尾修や加藤初を酷使と批判されながらも若手時代に積極的に起用し後の活躍の礎を構築した。

1978年から1980年まで中利夫監督の下で中日投手コーチ。1984年よりロッテオリオンズ監督。埼玉県所沢市に移転したライオンズに替わり、ロッテを数年以内に福岡に移転させる条件で監督要請を受諾したが、移転は行われることなく1986年限りで退任。以降は解説者、プロ野球マスターズリーグ福岡ドンタクズ監督、沢村賞選考委員(のちのに委員長)など。2007年11月13日午前1時21分、悪性腫瘍のため死去。70歳。
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# by nob_io | 2007-11-13 13:08 | 野球関連2007 |
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阿部典史(32歳)
あべ・のりふみ。オートバイレーサー。世界最高峰の世界選手権シリーズ最大排気量の500ccクラスで、1996年と2000年の日本グランプリで優勝するなど3勝を挙げる。表彰台に計17回立つ日本の第一人者で、「ノリック」の愛称でファンに親しまれた。

7日午後6時20分ごろ、川崎市川崎区大島1丁目の市道でオートバイを運転中、Uターンしてきたトラックと衝突。病院に運ばれたが、全身を強く打ち間もなく死亡した。川崎署によると左側の車線を走っていたトラックがUターンし、右側車線を後方から走ってきた阿部さんのオートバイと衝突した。現場は片側2車線でUターンは禁止されている。同署が自動車運転過失致死の疑いでトラックの運転手(51)から事情を聴いている。
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# by nob_io | 2007-10-07 05:40 |
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大津守(76歳)
おおつ・まもる。福岡県出身、投手。明善高校から西日本鉄道を経て、1950年に球団結成したばかりの西鉄クリッパーズに入団。1952年にはリーグ最多登板の活躍をして主戦投手となり、1954年には18勝を挙げてチームの初優勝に貢献、中日との日本シリーズでも第6戦で勝利投手となる。翌年は近鉄戦でノーヒットノーランをマークするなど、河村英文とともにチーム最多の21勝をマーク。2007年10月2日、心不全のため福岡市東区の病院で死去。76歳。
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# by nob_io | 2007-10-02 05:43 | 野球関連2007 |
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上福元勤(41歳)
かみふくもと・つとむ。三塁手。1982年に早稲田実業で春夏連続で甲子園に出場。1984年読売ジャイアンツに入団、3年間在籍したが、一軍出場は無く1986年に引退した。その後は、マスターズリーグで札幌アンビシャスに所属して活躍していたが、2007年9月29日に直腸癌のため死去。まだ41歳という若さだった。
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# by nob_io | 2007-09-29 05:34 | 野球関連2007 |
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長嶋亜希子(64歳)
ながしま・あきこ。東京都出身。英語やフランス語などに堪能で、64年の東京五輪でコンパニオンを務め、スポーツ新聞の企画で長嶋茂雄と対談。長嶋が一目惚れし、猛アタックを受け翌64年結婚。元プロ野球選手の一茂氏ら2男2女をもうけた。04年3月に長嶋氏が脳梗塞で倒れた際にはリハビリを支えた。2007年09月18日、心不全のため都内の病院で死去。64歳。
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# by nob_io | 2007-09-18 05:27 | 野球関連2007 |
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中部慶次郎(74歳)
なかべ・けいじろう。山口県出身。元大洋漁業〈現マルハ〉社長。90年から02年まで大洋ホエールズ、横浜ベイスターズのオーナーを務めた。2007年9月17日、肺癌のため東京都内の病院で死去。74歳。
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# by nob_io | 2007-09-17 05:26 | 野球関連2007 |
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長船騏郎(83歳)
おさふね・きろう。1924年(大13)1月30日、岡山県生まれ。天理中から早大に入学し、捕手としてベンチ入り。42年秋のリーグ戦後に戦渦が激しくなり、43年9月に繰り上げ卒業。日本ステンレス(現新日鉄住金ステンレス)日冷商事を経て、52年1月から日本学生野球協会に勤務し、70年に常務理事、05年からゼネラルディレクター。00年に日本代表編成委員会委員長、07年から全日本アマチュア野球連盟会長に就任した。長嶋ジャパンの生みの親として知られる。2007年9月10日、肺炎のため東京・港区の病院で死去。83歳。
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# by nob_io | 2007-09-10 05:25 | 野球関連2007 |
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渡辺秀武(65歳)
わたなべ・ひでたけ。63年、日本軽金属から巨人入団。最初の2年間は低迷し、マウンド上での気の弱さから「メリーちゃん」と呼ばれたが、3年目の1966年、南海ホークスの杉浦忠投手をまねて下手投げに転向、同年いきなり13勝を挙げる。1970年にはノーヒットノーランを達成して23勝をあげるなど堀内恒夫、高橋一三と並び主力として活躍。その後日拓、大洋、ロッテを渡り歩き、広島に移籍後は中継ぎ投手として79、80年の連続日本一に貢献した。引退後は広島でスカウトを務め、川端、長富、山内、沢崎の新人王4名を発掘。2007年8月25日、肺炎のため浜松市の病院で死去、65歳。
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# by nob_io | 2007-08-25 05:24 | 野球関連2007 |
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黒田一博(82歳)
くろだ・かずひろ。外野手。広島・黒田博樹投手の父。佐世保商から青木産業、八幡製鉄を経て1949年南海ホークスに入団。すぐにレギュラーになり「6番・センター」で51年からのリーグ3連覇に貢献。54年、高橋ユニオンズ(その後トンボユニオンズ→大映ユニオンズ)に移籍した。実働8年で777試合に出場し、打率2割4分6厘、247打点、32本塁打。引退後は大阪市でスポーツ店を開いた。2007年8月17日死去、82歳。
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# by nob_io | 2007-08-17 05:31 | 野球関連2007 |
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酒井敏明(73歳)
さかい・としあき。三重県出身、捕手。桑名高から早稲田大に進み、東京六大学リーグで1955年秋に長嶋茂雄氏(立教大)らとともに捕手部門のベストナインに選ばれた。中日に6年間在籍し、通算301試合に出場、打率1割9分、3本塁打、36打点。その後トーチュウ記者2007年8月15日、脳内出血のため東京都三鷹市の病院で死去。73歳。
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# by nob_io | 2007-08-15 05:22 | 野球関連2007 |
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佃正樹(52歳)
つくだ・まさき。広島県佐伯郡宮島町(現廿日市市)出身。投手。プロ経験はないが、「江川卓に投げ勝った男」として知られる。

1973年、迫田穆成監督率いる広島県立広島商業高等学校のエースとして達川光男・金光興二らとセンバツに出場。落差のある縦カーブと抜群の制球力で準々決勝までの3試合を完封。前年地区大会から公式戦139イニング連続無失点を続けていた怪物・江川卓の作新学院高校と準決勝で激突。五回裏二死二塁から佃が江川の外角高めの速球を振りぬき、ライト前にチーム初安打となるポテンヒットを放ち二塁ランナー達川が生還、江川の連続無失点記録を止めた。八回裏には金光らがダブルスチールを敢行し、慌てた捕手の三塁悪送球で決勝点を奪った。広島商業がこの試合で江川から放ったヒットは、この回の内野安打と先の佃のポテンヒットの計2本だった。非常にプライドが高く、ゲームセットでチームメイトが歓喜を爆発させる中、『おれは名門・広島商業の背番号1。勝って当然』と一人悠然としていたという。決勝では横浜高校の長打攻勢に敗れ準優勝に終わった。

同年夏の甲子園では粘り強いピッチングで広島商業5度目の全国制覇をもたらし、九回裏一死満塁からサヨナラスリーバントスクイズで静岡高校を降した決勝戦は名勝負として有名。また細身で美少年だった佃は、宿舎に女性ファンが雪崩れ込む程のアイドル的人気を得た。

高校卒業後は金光・江川・植松精一・袴田英利らと法政大学に進学。しかし大投手・江川の陰に隠れ、法政は黄金時代を築いたものの、佃は4年間通算0勝1敗に終わった。高校時代の投げ込みで肩が上がらなくなったとも言われる。大学卒業後、同期の仲間が多数ドラフト会議で指名される中、郷里の社会人野球・三菱重工広島入りしたもののあまり活躍はできず、1979年の第50回都市対抗野球優勝時も登板はなかった。野球部引退後は三菱重工橋梁エンジニアリングに勤務し長く東京都に在住。営業一筋に打ち込んでいたという。私生活では79年に結婚し3人の娘をもうけ、少年野球の指導などもしていた。2007年8月、食道癌のため東京都内の病院で死去した。52歳。珍しい左投右打の選手であった。
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# by nob_io | 2007-08-13 05:24 | 野球関連2007 |
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平古場昭二(79歳)
ひらこば・しょうじ。1946年、西宮球場で開催された戦後初の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)でエースとして大阪・浪華商(現大体大浪商高)を優勝に導いた左腕。準決勝・東京高師付中戦で現在も9イニングの大会タイ記録である19三振を奪うなど、4試合で61奪三振を記録、決勝では京都二中に完封勝ちした。慶応大学入学後、48年秋の東大戦で無安打無得点試合を達成。卒業後は鐘紡に就職。社会人のオール鐘紡でプレーし、プロ野球のパ・リーグ審判員も務めた。69年香川県・小豆島に転居し、ゴルフ場に勤務。02年同ゴルフ場閉鎖に伴い町営住宅へ転居した。2007年 8月 11日、ガスメータ検針員が自宅(香川県小豆島町福田で1人暮らし)の異常に気づき駐在所に連絡、午前10時すぎ、小豆署の駐在所員が亡くなっているのを発見した。死後数日たっていたという。
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# by nob_io | 2007-08-11 05:19 | 野球関連2007 |
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高橋栄一郎(71歳)
たかはし・えいいちろう。プロ野球、巨人や南海(現ソフトバンク)で投手として活躍。89年に新庄市長に初当選し、05年に5選を果たした。2007年8月9日午前1時35分、膵腫瘍のため山形市の病院で死去。71歳。
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# by nob_io | 2007-08-09 05:19 | 野球関連2007 |
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阿久悠(70歳)
あく・ゆう(本名深田公之:ふかだ・ひろゆき)。兵庫県出身。作詞家。昭和34年に明治大学文学部日本文学専攻卒業後、広告代理店に入社。広告マンと放送作家の二足のワラジを履くが、40年にフリーとなり、作詞を中心に小説、エッセーなどの執筆活動に入る。同年、ザ・スパイダースのデビュー曲「フリフリ」のB面「モンキー・ダンス」で作詞家デビュー。昭和40年代後半から50年代にかけてヒットチャートを独占する勢いで、「また逢う日まで」「勝手にしやがれ」など5000曲以上を作詞。日本レコード大賞は「また逢う日まで」(46年)、「北の宿から」(51年)、「勝手にしやがれ」(52年)、「UFO」(53年)、「雨の慕情」(55年)と5回受賞、戦後の歌謡曲の黄金時代を牽引した、2007年8月1日午前5時29分、尿管癌のため慈恵会医大病院で死去。70歳。
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# by nob_io | 2007-08-01 05:18 |
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