さい・ひろよし。沖縄県糸満市生まれ。沖縄県立糸満高等学校、中京大学卒。高校野球監督として豊見城や沖縄水産を率いて甲子園に春夏合わせて17回出場。沖縄水産では1990年、1991年の全国高等学校野球選手権大会で準優勝を果たしたがエース大野倫の常軌を逸脱した酷使は各所から批判を浴びた。また当時、「アッコにおまかせ」の中継が沖縄で行われたが、島民が野球中継に釘付けで中継場所に殆ど人が集まらないという珍事があった。2002年に保健体育教諭を務めていた沖縄水産を定年退職後も監督を務めた。2007年3月13日に心臓の不調を訴えて入院し手術を受けていたが、5月8日に65歳で死去した。