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野口二郎(87歳)
のぐち・じろう。戦前から球界では有名な野口4兄弟(全員プロ入り)の二男で、愛知・中京商(現中京大中京)時代には37年夏の甲子園で熊本工・川上哲治投手(元巨人監督)に投げ勝ち優勝。翌春のセンバツではノーヒットノーランを含む4試合連続完封という当時の甲子園大会記録を作り、史上初の夏春連覇を達成。1939年法大を中退し、長男明(故人)と同じ東京セネタースに入団。1年目に33勝、42年には527回1/3を投げ、40勝17敗の成績を残す。同年5月24日の名古屋戦(後楽園)、前日に九回完投勝利を挙げながらふたたび先発し、当時世界最長の延長28回(4−4引き分け)を先発完投(試合は日没引き分け)した鉄腕ぶりは「日没だけが野口を止めた」と語り継がれる。同年投球回数は527回1/3に上り、シーズン40勝はヴィクトル・スタルヒン・稲尾和久(ともに42勝)に次ぐ記録。この年のシーズン19完封は翌年藤本英雄がタイ記録を作ったものの、現在もプロ野球タイ記録。翌1943年25勝をあげて応召。

入団5年で156勝、通算でも237勝を挙げた。戦後は46年から阪急で、徐々に打者としての出場が増えていく。四番を務め、1946年に当時日本記録の31試合連続安打を放つなど打撃も非凡であった。1954年引退。その後は毎日・阪急のコーチ、近鉄二軍監督などを歴任。投手として実働12年で登板517試合、通算237勝。特に戦前・戦中は5年間で平均登板58試合、平均勝利数31勝、平均投球回数は419回に及び、まさに戦前の「鉄腕」であった。1989年、野球殿堂入り。07年5月21日午前9時2分、肺炎のため兵庫・宝塚市内の病院で亡くなった。87歳。

(以下は朝日新聞より)孫たちは、死去を伝える報道で、その偉大さを知ったという。プロ野球で数々の記録を打ち立てた『鉄腕』は、家族にさえ自慢話を一切したことがなかった。
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by nob_io | 2007-05-21 05:11 | 野球関連2007 |
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