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皆川睦雄(69歳)
みながわ・むつお。南海ブレーブス黄金期を支え、「最後の30勝投手」と呼ばれた投手。1954年、米沢西高から南海に入団(同期に野村克也)。3年目の1956年に11勝をあげるも肩を痛め、柚木進コーチに勧められオーバースローからサイドスローに転向。1957年18勝、1958年17勝、1962年にはチームトップの19勝と安定した成績を残す。

サイドスローに転向した1956年のある試合で下位打線を相手に投げていたとき8番打者のところでカウントを0-3にしてしまった。皆川はここで「どうせ打ってこないだろう」とど真ん中に軽く直球を放ったが、主審の二出川延明に「ボール」と判定された。当然皆川はど真ん中なのになぜボールなのかと抗議したところ、「気持ちが入っていないからボールだ!」と一喝された。なんだそりゃ。これに感銘を受けた皆川は以降一球たりとも手を抜かないようになり、チームの中心選手へと成長したんだそうだ。Wikipediaにそう書いてある。美談かも知れないが、しかし・・・。

宅和本司、中村大成、杉浦忠ら伝説的な活躍をしたエースの陰に隠れながら、横手からのシンカー、スライダーと制球力を武器に長らく2番手投手として投手陣を支えた。そんな皆川が脚光を浴びたのが1968年。31勝、防御率1.61で最多勝利と最優秀防御率に輝く。以後、年間30勝投手は誕生していない。同年200勝も達成。1971年引退。通算成績は759試合の登板で、221勝139敗、防御率2.42。221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録。

1976-1977年阪神投手コーチ、1986-1988年巨人投手コーチ、1991ー1992年近鉄の投手コーチを歴任。その後は野球評論家の傍ら、少年野球の指導にも力を入れた。2005年2月6日、敗血症のため死去、69歳。2005年11月3日には米沢市市民栄誉賞を、2006年3月15日には山形県県民栄誉賞を受け、同年夏には米沢市営野球場(上杉スタジアム)の愛称が「皆川球場」に改称された。
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by nob_io | 2005-02-06 21:07 | 野球関連2005 |
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