すがの・みつお。武相高校卒業後、社会人野球の三菱自動車川崎を経て1975年ドラフト1位で日本ハムに入団。当時の日本ハムは、1976年に行沢久隆、1978年には古屋英夫、1979年には高代延博と若手内野手を次々と獲得し、彼らの成長が1981年のリーグ優勝をもたらす一要素となった。菅野も内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、地味ながら優勝に貢献した。
1985年に現役引退し、翌年日本ハムの守備走塁コーチに就任。2000年には二軍トレーニング兼内野守備コーチ。2005年からは鎌ヶ谷の選手寮「勇翔寮」の寮長を務め、ダルビッシュ有をはじめとした若手の面倒を見続けた。2007年1月の球団の健康診断で肝機能の数値が高いということを知らされ、2月に検査を受けた。直腸に癌らしきものがあると言われ、3月に再検査をし、直腸癌と確定された。予想以上に癌の進行が早く入院したが、同年3月22日、直腸癌による心不全のため死去。54歳。