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カテゴリ:野球関連2007( 27 )
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長船騏郎(83歳)
おさふね・きろう。1924年(大13)1月30日、岡山県生まれ。天理中から早大に入学し、捕手としてベンチ入り。42年秋のリーグ戦後に戦渦が激しくなり、43年9月に繰り上げ卒業。日本ステンレス(現新日鉄住金ステンレス)日冷商事を経て、52年1月から日本学生野球協会に勤務し、70年に常務理事、05年からゼネラルディレクター。00年に日本代表編成委員会委員長、07年から全日本アマチュア野球連盟会長に就任した。長嶋ジャパンの生みの親として知られる。2007年9月10日、肺炎のため東京・港区の病院で死去。83歳。
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by nob_io | 2007-09-10 05:25 | 野球関連2007 |
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渡辺秀武(65歳)
わたなべ・ひでたけ。63年、日本軽金属から巨人入団。最初の2年間は低迷し、マウンド上での気の弱さから「メリーちゃん」と呼ばれたが、3年目の1966年、南海ホークスの杉浦忠投手をまねて下手投げに転向、同年いきなり13勝を挙げる。1970年にはノーヒットノーランを達成して23勝をあげるなど堀内恒夫、高橋一三と並び主力として活躍。その後日拓、大洋、ロッテを渡り歩き、広島に移籍後は中継ぎ投手として79、80年の連続日本一に貢献した。引退後は広島でスカウトを務め、川端、長富、山内、沢崎の新人王4名を発掘。2007年8月25日、肺炎のため浜松市の病院で死去、65歳。
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by nob_io | 2007-08-25 05:24 | 野球関連2007 |
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黒田一博(82歳)
くろだ・かずひろ。外野手。広島・黒田博樹投手の父。佐世保商から青木産業、八幡製鉄を経て1949年南海ホークスに入団。すぐにレギュラーになり「6番・センター」で51年からのリーグ3連覇に貢献。54年、高橋ユニオンズ(その後トンボユニオンズ→大映ユニオンズ)に移籍した。実働8年で777試合に出場し、打率2割4分6厘、247打点、32本塁打。引退後は大阪市でスポーツ店を開いた。2007年8月17日死去、82歳。
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by nob_io | 2007-08-17 05:31 | 野球関連2007 |
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酒井敏明(73歳)
さかい・としあき。三重県出身、捕手。桑名高から早稲田大に進み、東京六大学リーグで1955年秋に長嶋茂雄氏(立教大)らとともに捕手部門のベストナインに選ばれた。中日に6年間在籍し、通算301試合に出場、打率1割9分、3本塁打、36打点。その後トーチュウ記者2007年8月15日、脳内出血のため東京都三鷹市の病院で死去。73歳。
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by nob_io | 2007-08-15 05:22 | 野球関連2007 |
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佃正樹(52歳)
つくだ・まさき。広島県佐伯郡宮島町(現廿日市市)出身。投手。プロ経験はないが、「江川卓に投げ勝った男」として知られる。

1973年、迫田穆成監督率いる広島県立広島商業高等学校のエースとして達川光男・金光興二らとセンバツに出場。落差のある縦カーブと抜群の制球力で準々決勝までの3試合を完封。前年地区大会から公式戦139イニング連続無失点を続けていた怪物・江川卓の作新学院高校と準決勝で激突。五回裏二死二塁から佃が江川の外角高めの速球を振りぬき、ライト前にチーム初安打となるポテンヒットを放ち二塁ランナー達川が生還、江川の連続無失点記録を止めた。八回裏には金光らがダブルスチールを敢行し、慌てた捕手の三塁悪送球で決勝点を奪った。広島商業がこの試合で江川から放ったヒットは、この回の内野安打と先の佃のポテンヒットの計2本だった。非常にプライドが高く、ゲームセットでチームメイトが歓喜を爆発させる中、『おれは名門・広島商業の背番号1。勝って当然』と一人悠然としていたという。決勝では横浜高校の長打攻勢に敗れ準優勝に終わった。

同年夏の甲子園では粘り強いピッチングで広島商業5度目の全国制覇をもたらし、九回裏一死満塁からサヨナラスリーバントスクイズで静岡高校を降した決勝戦は名勝負として有名。また細身で美少年だった佃は、宿舎に女性ファンが雪崩れ込む程のアイドル的人気を得た。

高校卒業後は金光・江川・植松精一・袴田英利らと法政大学に進学。しかし大投手・江川の陰に隠れ、法政は黄金時代を築いたものの、佃は4年間通算0勝1敗に終わった。高校時代の投げ込みで肩が上がらなくなったとも言われる。大学卒業後、同期の仲間が多数ドラフト会議で指名される中、郷里の社会人野球・三菱重工広島入りしたもののあまり活躍はできず、1979年の第50回都市対抗野球優勝時も登板はなかった。野球部引退後は三菱重工橋梁エンジニアリングに勤務し長く東京都に在住。営業一筋に打ち込んでいたという。私生活では79年に結婚し3人の娘をもうけ、少年野球の指導などもしていた。2007年8月、食道癌のため東京都内の病院で死去した。52歳。珍しい左投右打の選手であった。
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by nob_io | 2007-08-13 05:24 | 野球関連2007 |
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平古場昭二(79歳)
ひらこば・しょうじ。1946年、西宮球場で開催された戦後初の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)でエースとして大阪・浪華商(現大体大浪商高)を優勝に導いた左腕。準決勝・東京高師付中戦で現在も9イニングの大会タイ記録である19三振を奪うなど、4試合で61奪三振を記録、決勝では京都二中に完封勝ちした。慶応大学入学後、48年秋の東大戦で無安打無得点試合を達成。卒業後は鐘紡に就職。社会人のオール鐘紡でプレーし、プロ野球のパ・リーグ審判員も務めた。69年香川県・小豆島に転居し、ゴルフ場に勤務。02年同ゴルフ場閉鎖に伴い町営住宅へ転居した。2007年 8月 11日、ガスメータ検針員が自宅(香川県小豆島町福田で1人暮らし)の異常に気づき駐在所に連絡、午前10時すぎ、小豆署の駐在所員が亡くなっているのを発見した。死後数日たっていたという。
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by nob_io | 2007-08-11 05:19 | 野球関連2007 |
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高橋栄一郎(71歳)
たかはし・えいいちろう。プロ野球、巨人や南海(現ソフトバンク)で投手として活躍。89年に新庄市長に初当選し、05年に5選を果たした。2007年8月9日午前1時35分、膵腫瘍のため山形市の病院で死去。71歳。
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by nob_io | 2007-08-09 05:19 | 野球関連2007 |
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蔦行雄(77歳)
「攻めダルマ」つた・ふみや。東急フライヤーズで投手、また徳島県立池田高等学校野球部の監督。徳島県立商業学校卒業後、同志社大学経済学部に入学し野球部に所属するが、学徒出陣で太平洋戦争に出征。特攻隊員となる。復員後、日鉄広畑に半年間所属し帰郷。全徳島に加入し都市対抗野球大会に3度出場。1950年に東急フライヤーズに投手として入団したが、わずか1年で退団し帰郷した。

故郷・徳島の池田高校が野球部の指導者を探していたことから、1951年、池田高校に社会科教諭として赴任する。その授業はいつも本題そっちのけで専ら野球の話でもちきりだった。翌1952年から同校の野球部監督に就任。しかし当時の野球部には、戦後の物不足の影響もありボールが3個とバットも2本だけしかなかったという環境であった。

長い間母校・徳商の厚い壁に跳ね返され続けたが、1971年の夏の大会で、池田高校はついに甲子園初出場を果たした。1974年春には、「さわやかイレブン」と呼ばれたわずか11人の部員で準優勝、1979年夏にも箕島高校に惜敗したものの準優勝を記録した。

1980年頃から、芯を少々外していても筋力があれば打球を飛ばせる金属バットの特性を最大限に生かすため、筋力トレーニングを積極的に行い「やまびこ打線」というニックネームがついた強力打線で、以後の高校野球のスタイルをも変えてしまった。チームも1982年夏、1983年春と連覇し、名実ともに黄金時代を迎える。当時の池田高校は、類まれなる強さと、蔦監督のキャラクターもあり、高校野球史上屈指の人気校であった。鋭い打球が自慢のパワー野球で対戦相手を次々にねじ伏せた池高野球から蔦は「攻めダルマ」と畏れられた。

監督として甲子園に春夏通算14回(監督として最後の甲子園出場は1988年夏。岡田康志コーチが指揮を代理した1991年夏を含めると15回)出場し、37勝、優勝3回、準優勝2回という素晴らしい成績を残すも、68歳・監督就任40年目の1992年に勇退した。同年7月には「池田町名誉町民第1号」に選ばれた。その後の数年間、野球部の顧問を務めていたが、体調を崩し入退院を繰り返していた。2001年4月28日に肺癌のため池田町内の病院で死去。77歳。
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by nob_io | 2007-07-06 05:16 | 野球関連2007 |
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河西俊雄(87歳)
かわにし・としお。兵庫県姫路市出身。兵庫県立明石中学(現:兵庫県立明石高等学校)から明治大学に進学、1946年に近畿グレートリングに入団。1946年から1948年まで3年連続で盗塁王を獲得。1950年阪神タイガースに移籍、移籍後も100試合前後に出場し1953年から1955年までは二軍コーチ・二軍監督兼任。

以後1957年まで二軍コーチ・二軍監督をつとめ、1958年からスカウトに転進。阪神タイガースでは、藤井栄治・遠井吾郎を担当した。1962年に一年のみコーチをつとめるが、その後はまたスカウトで、藤田平・江夏豊・山本和行・掛布雅之といった大物選手の担当をつとめる。1976年に退職。1977年から近鉄バファローズのスカウト部長に就任し、大石大二郎・金村義明・野茂英雄・阿波野秀幸・中村紀洋・吉井理人を担当した。1995年に福留孝介を入団させることができなかったことからスカウトを引退した。日本プロ野球界最高のスカウトの一人として名高い。2007年6月25日、慢性腎不全のため死去。87歳。
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by nob_io | 2007-06-25 05:15 | 野球関連2007 |
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鈴木悳夫(66歳)
すずき・のりお。静岡市出身。捕手。静岡・清水東高校から早稲田大学を経て1963年入団、現役時代は311試合にマスクをかぶった他、一塁手での出場もあった。1971年引退。入団後32年間一度もユニフォームを脱ぐ事無く東映・日拓・日本ハムでコーチとして在籍した。1995年からは韓国プロ野球の三星でコーチを務めた後、1997年からは再び日本に戻りロッテのコーチを務めた。近年は東京中日スポーツの野球評論家を務めていた。2007年6月14日午後11時50分、咽頭癌のため東京都杉並区の病院で死去。66歳。
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by nob_io | 2007-06-14 05:14 | 野球関連2007 |
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