NPBの登録名:Don Blazer、MLBの登録名:Don Blasingame、本名:Donald Lee Blasingame(ドナルド・リー・ブラッシンゲーム)。アメリカメジャーリーグではセントルイス・カージナルスなどで活躍。オールスターやワールドシリーズにも出場した名選手だった。
1967年、南海ホークスに入団し内野手(二塁手)として3シーズンプレー。1970年から野村克也監督のもとでヘッドコーチを務め、1973年のパシフィック・リーグ優勝に貢献。1977年オフ、野村監督の解任に伴い南海を退団。
広島の守備兼ヘッドコーチを経て、1979年阪神タイガース監督に就任。「考える野球(シンキング・ベースボール)」を取り入れた采配が期待された。しかし1980年、大型新人岡田彰布を使えというフロントと、まずは二軍から、というブレイザーとの間に確執がうまれる。ファンから自宅にカミソリ入りの手紙を送りつけられ、夫人が「こんな野蛮な国はイヤ」と帰国を懇請したことから、シーズン途中の5月14日で退任。1981年、1982年には古巣・南海の監督を務めた。それぞれ5位、6位に終わっている。2005年4月13日死去。73歳だった。